ALWAYS 第五話   三丁目の夕日パラレル


 クリスマスである。街は華やいだ雰囲気に包まれていた。赤い衣装を身にまとい、白いひげを蓄えた老人が大勢街を闊歩している。装飾を施された街路樹の下、佐助は恋人たちの間を縫うように歩いた。
 『佐助へ』
 駅前の大型書店の店頭では、フェアが開催されていた。2007年、今年が終るまでに読みたい本ベスト10。その中には、佐助が先月大賞を授賞した新作『さいごのひと』も並べられていた。佐助は本を手に取り、物悲しげに目を伏せた。念願を果したはずなのに、何故だか全く嬉しくなかった。
 『佐助はもしかしたら怒っているかもしれない。当然だ。佐助には怒る権利がある。謝って許されることではないが、本当にすまない。本当は何度も言おうとしたんだ。だけど、佐助と一緒にいるのが楽しくて、先延ばししてるうちに昨日になっちまった。』
 それは高校時代も同じはずだった。あのときも、佐助は鬱屈した思いを吐き出すために、己を反映させた登場人物に己が経験したことを追体験させたのだ。だが、あのときは、賞を取ったことでそれらの悪感情もある程度は解消されたのに対して、今回はまるで心が動かなかった。佐助は笑うことで、それに気づかないふりをした。
 政宗の姿が消えた八月四日。置き去りにされた手紙を握り締め玄関を叩く佐助の血相を変えた様子に、小十郎は黙って店の戸を開けた。
 「…なあ…、これ、どういうことなんだよ!片倉さんだったら何か知ってるんだろ!教えてくれよ!政宗が伊達グループの跡取りってっ!」
 胸倉を掴み上げて揺さぶっても、小十郎は沈鬱そうに目を伏せたきりで何も説明しなかった。それが何よりも雄弁に、小十郎は政宗から事前に帰ることを知らされていたことを語っていて、佐助は顔を歪めた。
 「何で…何でっ、なあ、どうして!…何でっ!」
 そのままずるずると佐助は床に崩れ落ち、嗚咽を漏らして泣いた。
 『佐助が泣いてないことを願う。傷つけてたらすまない。本当に、悪い。でも、』


 『俺は、佐助と暮らしたときが一番楽しかった。』


 そんなことを言うくらいなら、何も言ってくれない方が良かった。かすがのように何も告げず、無言で立ち去ってくれる方が、まだ良かった。
 佐助はそっと嘆息して、『さいごのひと』を陳列棚に戻すと、再び雑踏へと消えていった。
 帰宅した部屋は荒涼としていた。佐助は灯りも点けぬまま、暗い部屋の中を進んでいった。
 まるで泥棒が押し入ったような現状は、四ヶ月ほど前に佐助が作り出したものだ。頑なに口を閉ざす小十郎の元から帰って来た佐助は、灯りを点け、冷蔵庫へ向かった。咽喉が渇いていた。そして薄暗い迎える者の誰一人いない部屋のそこかしこに政宗の影を見止め、それらを振り払うように、激情のまま暴れたのだった。本棚を倒し、書籍を蹴散らし、テーブルの上のものを振り払い、ようやく衝動が落ち着きを見せた頃には、佐助の部屋は見る影もないほど荒れ果てていた。
 佐助は散らばされたまま放置されている本や新聞を器用に避けて、テーブルに腰を落ち着けた。そうしてテーブルに広げた夕食はコンビニで買ってきた侘しいものだったが、政宗が立ち去って四ヵ月以上も経った今となっては、すっかり慣れ親しんでいた。元より政宗が来るまでは、佐助の食生活はコンビニ弁当やカップ麺に頼りきりだったのだ。
 「大したことじゃないよ。元の家に、戻っただけじゃない。」
 誰にともなく呟き、佐助は視線を落とした。
 政宗が去ってから、少なくとも、佐助はそう己に言い聞かせることでかつての平静さを表面上は取り戻した。昔に逆戻りし、腹の読めない笑みを再び浮かべるようになった佐助に対し、普段は明け透けに心情を顕にする元親は不満とも憐憫ともつかない複雑な目をした。佐助はそれに気づかない振りをして、ただ、取り繕った笑顔を見せた。それで自己を守れるものだと信じていた。
 小さく自嘲めいた笑みを浮かべてから、佐助はコンビニでもらったスプーンを手に取り、コンビニからここまで外気に晒されたため既に冷たくなり始めていたカレーライスを掬った。佐助にとってクリスマスが楽しみだったことは今まで一度もなかったが、おそらく、今日という日は人生で初めて経験するほど惨めなクリスマスに違いなかった。
 「…、政宗のカレーライスが食べたいな。」
 思わず零れ出た本音に、堪えきれず、佐助が鼻を啜ったとき、カチリと小さな音がした。施錠を外す音。佐助が驚きに玄関の扉を見守っていると、その視線の先で、ゆっくりとドアノブが回された。佐助は目を見開いた。
 「あれ?佐助、お前電気も点けないで何やってんだよ。」
 「…、政宗?」
 「あーあ、こんなに部屋散らかして。って何で本棚倒れてんだよ。地震でもあったのか?折角俺が分類したのに。」
 スーパーのビニール袋を手にした政宗は面倒臭そうに嘆息して頭を掻いた。
 「え、ていうか。え?何、何で政宗?」
 「何でって、」
 吃驚して目を丸くして立ち上がり、冷蔵庫にスーパーで買った食材を詰め込んでいる政宗をまじまじと凝視する佐助に、詰め終えた政宗は冷蔵庫の扉を閉めると、柔らかい苦笑を浮かべて振り向いた。
 「あれ、読んだよ。おめでとう。で、これ以上泣かせたくないし。」
 やがて政宗の目がテーブルの上のコンビニ食に止まり、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに告げた。
 「佐助、俺いねえとまともな生活出来ねえだろ。だから。説得には時間がかかっちまったけど。」
 その震える声にようやくこれが夢ではないのだと実感が湧いてきて、佐助は大きく瞬きをした。実感を伴うと共に潤み始めた目は、そうでもしなければ今にも涙をこぼしそうだった。胸がつまって、どうしようもなかった。
 あと一歩で手が届くという距離まで近寄り、政宗が立ち止まった。
 「ただいま。」
 あと一歩の距離は呆気なく縮められた。放たれた言葉にとうとう我慢しきれず、佐助は政宗を強く抱きしめた。
 「…、おかえり。」
 涙を溢れるに任せ、額を押し付け、殺しきれずに嗚咽を漏らす佐助に気づいているだろうに、政宗は何も言わずただ黙って抱きしめ返した。


 「政宗、これどうしたら良いの?」
 「…、そりゃ俺にもわかんねえから、まつさんに訊いてみてくれ。」
 「了解ー。」
 大きく頷いて佐助が慌しく駆けていく。政宗はワックス掛けをいったん中止して、背後で楽しそうに笑っているいつきと蘭丸を見やった。一昨日慶次と戦うことになり、結果、寄る年に勝てず腰を痛めた島津の大掃除をボランティアですることにした政宗と佐助に、大変だろうと寄こされたいつきと蘭丸は、任せた障子を滅茶苦茶な出来栄えにしていた。障子を破くのが面白いあまり、当初の、張り替えるために綺麗に破くという目的を忘れているらしい。
 「綺麗に破いてくれよ。」
 「わかってるよ!なあ、いつき。」
 「そ、そだそだ。わ、忘れたりしてねべ。おら、ちゃんとやってるだよ。嘘じゃねだ。」
 あからさまにうろたえたいつきに微笑ましさを感じ、政宗は小さく笑うと再びワックス掛けに取り組むことにした。白いワックスに浸かった雑巾を握り締め、木目に添って塗っていく。間もなく、政宗の担当している単調な作業は終わった。背後では剥がしきれなかった障子を躍起になって子どもたちが剥がしていた。政宗はもう片付けてしまおうと用のないワックス剤の入ったバケツを引き寄せ、ふと、バケツを掴んだ左手を見た。左手には相も変わらず、何もついていない。実家から佐助の元へ戻ってきて、3日。わざわざ指輪を買いに行く時間も、資金もなかった。
 「本当に良いの?」
 暫く力いっぱい泣いた後、佐助は赤く腫れあがった瞼を擦りながら、政宗から身を離した。
 「何が、」
 「だって、」
 言い難そうに口ごもる佐助に、ティッシュを手渡し、鼻を噛むよう勧めつつ、政宗は答えた。
 「良いんだよ。元々、俺じゃなくて弟を当主にしようっていう流れはあったんだ。俺もなるのが嫌で小十郎んとこに逃げて、それじゃすぐ見付かっちまうってんで佐助んちに来た訳だし。」
 「…でもさ、あんなお金持ちの家で。」
 「金とか家柄が重要なんじゃないって、佐助は知ってると思ったけどな。」
 「でも…、」
 鼻を噛んだ佐助は後ろめたそうに政宗を見て、小さく呟いた。
 「でも、俺、指輪買う金もない貧乏だよ?」
 「別にそんな、買わなくても良いのに。んであんな執着するんだか。」
 政宗は左手を掲げて微笑った。政宗には誕生日の思い出と佐助の想いがあれば、別に現物などいらないのに、それがどうも佐助にはわからないらしい。この数ヶ月間ずっと心の支えとなっていた見えない指輪を愛おしそうに指先で撫ぜて、政宗は僅かに差し込み始めた茜色に振り返った。晴れ渡った空は夕日を抱いて、綺麗に色付いていた。
 「…夕日、綺麗だな。」
 「当たり前だろ!何言ってんだよ、若造!」
 独り言のような呟きに飛んだ声は、巧く剥がせなかった障子の糊を水で溶かしてどうにか剥がそうとする作業に飽きた蘭丸のものだった。
 「明日だって明後日だって、若造がおっ死んだ五十年先だって。夕日はずーっと綺麗だぞ!」
 「馬鹿言うな。五十年後だって俺は生きてる。でも…そうか、そうだと良いな。」
 「そうだとええべさ。」
 憎まれっ子世に憚るっつーもんなと小さくしたり顔で呟いた蘭丸の頭を叩き、いつきが問うた。
 「政宗、今日の夕飯何だ?政宗の料理好きだから、おら、楽しみだっ。すげえ久しぶりに食べるしなあ!」
 政宗は人の悪い笑みを浮かべた。
 「じゃあ、楽しみはそのときまで取っといたらどうだ?」
 「意地悪すな!おら、それだけを楽しみに来たのに。」
 「そうだよ!ちゃんと質問には答えろよ。」
 慌しく舞い戻ってくる音が小さく耳に届いた。空腹なのか拗ね始めたいつきと蘭丸に笑いかけ、政宗は答えた。
 「今夜はカレーだよ。だって、」
 佐助が食べたがるから。
 政宗はそれだけ告げて、消えた語尾を察したらしく鼻を鳴らして嘆息する蘭丸と純粋に喜ぶいつきを背に、佐助の元へと向かったのだった。











初掲載 2007年2月14日