かすがに撒かれた佐助は保健室にいた。その正面には、ひじょうに不本意そうなかすがもいる。謙信先生のいる場所にいれば来るに決まってるんだよ、と得意気になりながらも、実はかすがのことをにくからず思っている佐助は正直悲しかった。何なんだ、このむなしさは。
佐助は心中で鼻を啜り、かすがに尋ねた。
「それでなんで、旦那にあんな本貸したのさ?」
「あんなとはなんだ。失礼なやつだな貴様。あれは、慶次に頼まれたからわざわざ貸してやったのだ。」
「慶次が?んで、旦那は慶次まで引っ張り込んで…いや。それって慶次が何か考えたの?」
佐助は首を傾げた。慶次とは、政宗と同じクラスの男子学生で、無駄に恋を謳歌している。とはいえ、己の恋より、他人の恋愛ごとに首をつっこむ傾向にある。噂に聞いただけだが、慶次は秀吉先生の奥さんに本惚れしているらしいので、佐助としても、その思いがわからないこともない。自分の恋が叶わないなら、少しでも、人の恋を応援したいものだ。自分で言うのも悲しいが、謙信先生がいる限り、佐助の恋も実らないこと請け合いなので。佐助はたとえ謙信先生がいないとしても、自分の恋が叶いそうにない現実からは目を背けていた。
そんな慶次と幸村は、正直、仲はあまりよろしくない。幸村が、色恋沙汰にうつつを抜かす生ぬるい男だと、慶事を毛嫌いしている風がある。慶次は、恋も知らないで人生の半分も楽しめていないお堅い男と、幸村を認識している。どちらもどちらの、水と油の仲なのだ。かろうじて、政宗を中心に据えて知り合っている、というだけである。
その慶次と幸村の組み合わせは、よく考えずとも、何かおかしい。
しきりに首をひねる佐助に、かすがが面倒くさそうに、とんでもないことをのたまった。
「慶次が言っていたが、真田のやつは恋をしているそうだぞ。」
「鯉?故意?乞い?こいって?」
「貴様馬鹿か、恋は恋に決まっているだろう。」
「こいはこいだろうって言われても…。慶次にこい、慶次とこい、こい、こ…。」
佐助はおどろきのあまり絶叫していた。
「ええええええええええこここここ、恋?!!」
驚天動地とはこのことを言うに違いない。すわ、空から槍の雨でも降るのではないかと、佐助は窓の外に目を向けた。あいにく、空はきれいな夕焼け色に輝いて、雨すら降りそうになかった。
それまで沈黙を守っていた謙信先生が、パソコンで書類を作る手を休めて、にっこり笑いながら言った。
「こい…それはかんびなひびき。よきことですね。」
「はい!謙信様!」
大きく頷いたかすがの、佐助が決して見ることが叶わなかった輝く笑顔にも、佐助は反応することができなかった。驚きのあまり、腰が抜けていた。
あの幸村が恋と言うことで事情は呑み込めないながらも、いちおう、慶次に恋の相談をしたらかすがと、彼女持ちの元親を紹介されたというくだりを聞き出した政宗は、大量にある本へと視線を走らせた。参考資料としてのハーレクインに、少女漫画、そしてなぜかボーイズラブ。
「それでなんでboysloveもあるんだが、よく理由が呑み込めねえんだが…。」
それは聞かない方が良かった。もともと口が固いとはいえ、なぜ謙信先生が政宗に限って幸村の恋愛模様を漏らさなかったのか、政宗は推して知るべきだった。
政宗は狼狽していることを悟られぬように、極力感情を押し殺した声で、告げた。
「まあ、それにしたってmannualでgetできるような軽い女はろくなのいねえだろ。」
そういう政宗も、それほど恋愛経験が豊富なわけではない。もてることはもてるのだが、政宗の雰囲気と周囲を取り巻く強面の男達が怖いことから、女子には直接関わることを敬遠される傾向にあった。政宗の実家は危ない自由業というわけもなく、古い家柄もよいご家庭だ。しかし、なにぶん政宗自身が一時期荒れて、高校進学を気に転校する前は暴走族のヘッドなどをしていたこともあったので、女子たちの反応ももっともなものであろう。ちなみに通り名は、仙台の独眼竜だった。
腕を組み偉そうなことをのたまった政宗に、幸村がおそるおそる身を前に乗り出して尋ねた。
「マニュアル…では、やはり駄目でござろうか。」
「そうに決まってんだろ。今は個性の時代だぜ?んな大衆が言いまくるような台詞じゃ、イイ女は口説けねえよ。」
政宗は苦笑を浮かべた。恋愛ゲームや書籍で予習をして、恋愛実践に望むようなやつは幸村くらいなものだろう、と思い、政宗はすぐさまその考えを否定した。ときめくゲームを貸した元親が、ロマンス映画の砂を吐くくらい甘ったるい台詞で告白して、彼女をゲットしたのを思い出したからだった。仲間内で一番強面のくせして、元親は誰よりもロマンチストなのである。姫若子の過去がそうさせるのかもしれない。
「まあ、こんだけ努力するくらいべた惚れなんだ。だいたい、恋愛下手のアンタが惚れるくらいなんだから、本気の恋なんだろ。だったら相手も無碍にしねえだろうし。アンタ無駄に個性だけはあるからな。そんな、全然駄目っつーことはねえんじゃねえの?」
そう政宗はうそぶいた。適当な発言をしたことを、政宗はこの後、すぐさま後悔することになる。幸村の瞳が熱望と希望に輝いていることに、気づくべきだった。
手を強く握りしめられ、それまで室内を見回して幸村の生活を勝手に推測していた政宗は、疑問符を頭に浮かべて幸村を見やった。幸村見るべきではなかった。呑み込まれ押し流され、すべてどうでもいいと思えてしまうような、熱い瞳。
幸村が真剣な顔で、言った。
「某が好きなのは、」
くらりと強く眩暈がした。手は、どちらのものともしれぬ緊張の汗でしめっている。
いつきの期待に応えることになるのか、と、政宗はぼんやり頭の片隅で思った。
初掲載 2007年6月6日