陳腐なB級映画のような   殺し屋パラレル


 政宗が大学に姿を見せなかった。
 年も専攻も違うが、俺はダブリ政宗はスキップ。共通の友人は多い。その友人の一人である佐助に政宗が講義をサボったことを教えられた。つるんで何処かへ行くことは多いが、一人で政宗が自主休講を決め込むことは少ない。あの見た目で実は高尚な趣味のある政宗だから、一人で図書館や美術館に行くこともあることは知っていた。が、概ね真面目な政宗がわざわざ講義をサボってまで向かうことがないことも、この数年の付き合いで知っていた。
 自販機で煙草を買い、釣り銭を取り出しながら俺は小さく溜め息を吐いた。またか。


 昨日は月曜で週初めだったが、夜は久しぶりに暇が重なった。昼間はともかく夜は大抵仕事が入っているから、それは本当に珍しいことだ。そういうわけで、俺たちは半月ぶりに夜の時間を共有することにした。政宗の作った俺には少し上品すぎる夕食を食べて、食欲に負けない性欲でもつれながら薄っぺらい布団の敷かれたパイプベッドに倒れこんだ。
 俺の住んでいる安普請のアパートは家賃に見合った働きしかしない。欠陥建築なのか風通しは良すぎるし、壁も薄っぺらいからよく音が響いた。それを政宗が嫌がることはわかっていたから窓は締め切って、俺にしては奮発してクーラーを起動した。それでもなお、アパートのちっぽけな庭で花火をしている大学生たちの歓声が耳についた。
 「チープだな。」
 「わかりやすくていいじゃねえか。」
 音が遮断できるなんて最初から思っていなかったから、腕を伸ばしコンポの電源を入れて、一昨日買ったばかりの新譜をかけた。政宗が笑った。
 政宗は俺のアパートでのセックスがあまり好きではない。対する俺は、嫌いじゃない。セキュリティも万全。防音も絶対。ベッドもフカフカ。そういう、全てから守られきった政宗の無菌室みたいに潔癖な生温いマンションでのセックスも決して嫌いではないが、俺は俺に見合ったこのボロいアパートでのチープなセックスが気に入っていた。
 互いに満足するまで、いっそ我ながら己の若さに感心するほど見境なく身体を重ねた。まるで獣だ。理性の欠片もない。それから心地よいとか爽快というにはあまりにも疲労しきった身体を離して、泥のように深い眠りに身を任せた。


 そういう翌日の話に限った話ではないが、極稀に、政宗は突然何の前触れも一切なく塞ぎこむことがあった。ベッドで身を丸くして布団を被る政宗は、迫り来る何かから身を守っているように見える。そしてそういうときにだけ、講義をサボった。
 普段だったら、政宗の気分が上昇するまで俺は触れることなく放っておく。あまり酷いようだと仕事のキャンセルくらいは代わりにすることもあったが、大抵は、俺は政宗の精神に対してノータッチだ。
 だが、今回はそうもいかない理由がある。政宗が今いるのは、俺の部屋だ。いつも通り政宗のマンションか、何だったら気分を変えてホテルにでも行けば良かったと後悔しながら、俺はアパートにたどり着いた。後悔しても今更遅い。俺の部屋でのセックスに躊躇いを見せた政宗を、半ば攫うようにして甘言を弄し連れてきたのは誰だ?勿論、俺だ。
 俺は財布からキーを取り出し鍵を開けると、ドアノブに手をかけた。扉はすんなりと開いた。幸運なことにも、チェーンはかけられていなかった。
 「政宗、」
 部屋は暗かった。閉じきられた遮光カーテンの合間から、ちらちらと夏の強い日差しが覗いた。それが唯一の光源だった。俺は一瞬躊躇ってから、電灯をつけた。政宗の気に触るかもしれないが、ここは俺のアパートだ。大体、明かりがなければ暗くて動けない。
 暗譜とCDと雑誌で構成されたタワーを崩さないよう、俺はベッド脇のテーブルまで近寄った。途中コンビニで買ってきたペットボトル飲料とカップアイスをテーブルの上に置き、代わりに置いてあった酒缶をビニル袋に押し込む。アイスは既に溶け始めていて、あせをかいてぬるついたパッケージがベコリと凹んだ。
 俺の帰宅に気付いているだろうに。ベッドを占領した政宗は、身じろぎ一つしない。一人ではないのに、独りでいる気分だ。
 「殺すのがそんなに辛いのか?」
 俺たちなんて、殺すだけが能じゃないか。そう思って、ゆるりと一人首を横に振った。違う。俺たちではなく、俺は、の話で。政宗には何もかもがあった。もっとも、それは政宗だけの話だったから、殺し屋でしかない俺は他に何が出来るかなんて考えたりしない。今以外の道を考えられない。だったら考えるだけ無駄だ。俺はあっさり思考を放棄して、この仕事を感受する。
 しかしどれだけ俺よりハイでクールに繕って割り切っている風な政宗は、その実他の生き方を模索している。俺には面倒でしかない大学の講義なんて真面目に受けて、まるで一般人みたいだ。政宗は一般人になりたいんだろう。でも、俺は一般に紛れた平凡な政宗なんて想像も出来ないから、そんな思考も放棄した。ゴージャスなくせして静謐な瞳を持つ政宗しか、俺は知らない。
 「殺して生きているだろ?」
 優しい優しい政宗。他人の命を奪うことなんて本当は嫌で、迷っていて。時折こうして自己嫌悪と罪悪感に苛まれては、悪夢に怯える子供みたいに布団に潜り込む。まるでそこにさえいれば、全てから守られると妄信しているように。
 勿論、それで現実がどうにかなるワケないし、政宗だってそんなこと信じてはいない。政宗は俺よりよほどシビアでリアリストだ。寒い朝が来たことを温い布団の中でいつまでもぐずって、母親の手で引きずり出されて殴られるようなヘマをしたりはしない。政宗にはそんな優しい母親最初からいないし、恐怖の対象でしかなかった母親はDVがバレて、政宗を育てる権限を剥奪された。
 俺が言うのもなんだが、政宗はかわいそうなやつだと思う。そんな母親から解放されて押し込められた孤児院で殺し屋なんぞに育てられてたんだから。俺みたいに、若さゆえの興味本位だったとはいえ、自分で選んだワケではないのだ。
 「なあ、政宗。」
 甘ったるい俺の呼び声にも、政宗はピクリともしない。一瞬もう政宗は死んでいるのだろうかと思った。全てに絶望して希望を怖がって遠ざけて愛を忌避して。不安定で綱渡りの精神は生きているのが不思議なくらい揺れ続けている。強いのに脆い政宗が哲学書に触発されて生を放棄しても俺は驚かないだろう。でも、他人の言葉に惑わされるほど弱いワケではないことも知っていたから、俺はベッドサイドに背を預けた。まだ、生きてる。
 (なあどうしたら俺はお前を救えるんだ。救いたいなんていうのは、お前お得意の高尚な悩みか?高望みか?人の身で人を救いたいだなんていうのは傲慢か?)
 手を伸ばしてパッケージを開けて、木ベラのスプーンで掬ったストロベリーアイスは纏わりついて、滴り落ちた。甘ったるいだろう。そんな予想通り、一口含むと広がったのは安っぽい人工的な甘ったるさだった。サーモンピンクが肉を髣髴とさせる。そう思ってしまえば、果肉が血にしか見えなくなる。食べる気がなくなって、俺はテーブルの上に戻した。
 甘ったるいチープな愛が俺にはお似合いだ。このストロベリーアイスのように加工物で取り繕われて、他者の血と肉で構成されるような愛が。
 布団の合間から覗いた髪を俺は梳いた。見た目には気を使うのに身体には心を払わない政宗の髪は傷んでいて、キシキシと指に絡みついた。俺は気にせず、髪を梳きながら甘ったるい声で、政宗には辛い現実を囁く。
 「殺して生きていくだろ?」
 これからも。
 こんな未来、不安要素だらけで見通しが利かないし、末路はきっと悲惨なものだろう。まるで陳腐なB級映画じゃないか。俺は政宗の髪を掬い取ってキスを落とした。
 ああでもだったらどうして。政宗を救いたいなどと、俺は思ってしまうのだろう?











初掲載 2006年12月1日
改訂 2007年9月17日