未来予想図


 「粋。」
 政宗が口にした単語を、ああそれらしいなあ、と佐助は小さく笑った。政宗が何よりも粋を好み、また尊ぶことは周辺国どころか全国的に有名な話である。何しろ政宗は、伊達男、という言葉を天下に轟かせたほど粋を好む御仁なので、今となっては逆に知らぬ方が珍しいだろう。
 「じゃあ、俺は、給料!」
 「う、海。」
 「…道?」
 「何で疑問系なんだよ。茶。」


 執務に忙しい政宗と激務に暇がない佐助。双方にとって金よりも貴重な休憩の一時を潰してまで何をしているのか、と問われれば、「しりとり」としか答えようがない。
 行動に破天荒なところがあるものの、基本、箱入り息子として蝶よ花よ(と言うのは少し間違っているかもしれないが、実情はそんなところだ。)と育てられた政宗がしりとりを知らなかったのが、二人でしりとりを始めた契機である。更に説明すると、洗濯物を干しながら幸村のしりとりの相手をしてやったところ、今日も今日とて幸村が「ん」がつく単語を言ってしまい負けた、という話を佐助がしたのが発端だった。
 世間一般では一応知将として通っている幸村は(佐助は常々、幸村が知将ならば誰でも知将だと思っている。あれは、計略なしに突撃した幸村を、その勢いゆえに、何か計略でもあるのではないかと相手が勝手に深読みして自滅しているだけなのだ。)、しりとりをすると逆に狙っているのではないかというほど、「ん」、で終る単語を言ってしまい負けるのである。あれで幸村は、戦場で負けると思わず地団太を踏むほどの負けず嫌いだ。そういうわけで、自他ほどに認めるほどの主馬鹿の佐助ですら馬鹿な子ほど可愛い…と言いかねるほど、しりとりの再戦につき合わされ続けているのである。
 佐助もしりとりの相手をさせられることに非常にうんざりしているので、同じく再戦を申し込まれ続けていた信玄や勘助を倣ってわざと「ん」がつく言葉で負ければいいのだが、これで佐助も案外負けず嫌いなので、こうして延々と再選は続き続けている。もっとも、何度目になるか到底数え切れないそれも、相も変わらず、幸村の敗北で幕を閉じたが。
 しりとりなど聞いたこともしたこともなかった政宗は、それでも元々人一倍頭の回転が速いこともあり、早々に、政宗で言うところの「rule」を呑み込んだ。おかげで教えた側にもかかわらず連戦連敗中の佐助が、古今東西を倣ってしりとりに制限を付け足したのだ。
 「あのさ、殿様。しりとり、自分の好きなものだけを挙げない?」
 その制限を設けた場合に勝てる自信があったのかと問われれば、情けないが、佐助は勢いよく首を左右に振るしかない。政宗の語彙は半端なかった。しょせん忍の佐助が既にしりとりのきまりを熟知しているというhandicapを負っていたとはいえ、教養のある武将として全国的に名を馳せている政宗に勝てるはずなどなかったのだ。それでも、勝てる自信は毛頭ない佐助がむしろ自分の首を絞めるだけで終ってしまいそうな制限を設けたのは、単に、ただのしりとりを続けるのに飽きていたためであった。


 「や?休み、が欲しい。」
 「今休みじゃねえの?」
 「違うって、そんなわけないじゃん。わかるだろうけど旦那鬼みたいに仕事させるし、給料払い忘れるのも多いし、さんざんだよ。俺は善意で手伝ってるわけじゃないのにさ。だから、今は自主休憩。」
 「…さぼっていいのかよ。」
 政宗は佐助の返答に小さく笑みをこぼした。それは、政務の際の人を食ったような笑みや、戦場で目にする背筋に冷たいものの走る笑みと違い、苦笑めいた柔らかい笑みだった。
 佐助は共犯者の笑みを浮かべて応えた。
 「まあ、いいんじゃない。身体壊すよりはねえ?…秘密だよ?」
 「黙っておいてやるくらい造作ねえが…、そんな貴重な休憩にわざわざ奥州まで来るたあ、アンタもたいがい物好きだな。」
 佐助は内心苦笑した。佐助が単に物好きで奇特というだけで、こんな遠く離れた場所までやって来ると思ってるのなら、その認識は間違っている。誰よりも敏い政宗が、佐助の忍という特異性に目を奪われて佐助の真意に気付かないとは、珍しい話である。それだけ、佐助が今まで政宗の周囲にはいなかった類型というのもあるのだろうが。
 政宗はそんな佐助の心情などまったく知らぬ顔で、「それで、」と言葉を続けた。
 「それで、なんだった?休み、か?み…未来。」
 「…じゃあ、俺様は今。」
 出会ったときから何となく察してはいたが、やはりとことん相容れぬ人間だと、佐助は政宗に対してそう思う。幸村などは佐助と政宗に似たものを感じると評し、人を食ったような態度で本心を見せないところなどがその根拠のようなのだが、佐助に言わせてもらえれば、何にも左右されない核になるものを持ち、その真意を悟られないように隠している政宗と、その実何も所持していないことを悟られないよう必死に隠そうとしている佐助では、本質に雲泥の差があるというものだ。
 例えば、先ほどの「未来」と「今」。
 不遜とも取れるほど気高い志を持ち、無謀とも言えるほどの大望を抱いている政宗は、着実に己の夢見る「未来」に向かって歩いている自信がある。だから、「未来」を信じ、愛することができる。
 それに対して、「今」をふらふらと生きている佐助にしてみれば、「未来」などどうなるかわからない不安材料でしかない。誰も彼もが生存しており笑って暮らしている「未来」に向かえればいいが、時は戦国、そのような「未来」とうてい望めそうもない。来年の今頃には武田と伊達の間で結ばれた同盟が破棄され、敵対しているかもしれない。それより前に不慮の事故や暗殺者、任務失敗によって、明日にでも誰かが命を落としているかもしれない。五体満足で信玄も幸村も佐助も政宗も「今」あることができるのは、単なる幸運にすぎないという考えが、佐助の念頭にはあった。
 それゆえに不確かな先のことよりも、佐助にとっては「今」の方が何にも増して貴重なのである。給料や休暇など、「今」に比べれば塵芥ほどの価値もない。勿論、給料や休暇があったらあったで佐助は諸手を挙げて歓迎するにはするが、給料や休暇を投げ捨ててでも「今」を守りたかった。
 佐助の想像でしかないが、政宗はそんな佐助のことを、しょせん小康状態にすぎない頼りない状況にしがみついている無様な人間としか捉えないだろう。それを免れているのは政宗が、佐助は何か今までの人間とは違うという誤認識を持っているからにすぎない。
 「未来」に踏み出すだけの強さが、佐助にはなかった。
 「ま、ま、ま。ま、…か。…ま、で好きなもんなんてあったか?」
 しりとりを始めて一刻あまり。初めて政宗が言葉につまり、眉間に皺を寄せた。魔法魔術の類はそれなりに興味を覚えるものの、現実にしかと足をつけて未来への道を切り開いている政宗の嫌うところである。迷い惑いなど、とんでもない。守り、も、六爪流からも見て分かるとおり攻撃は最大の防御を身上とする政宗にしてみれば、好きであるとは言いがたい。負け、は論外である。
 幸村の生涯の好敵手らしくやはり相当の負けず嫌いの政宗が、低く唸り声を上げ本格的に悩み始めたのを見て、佐助は思わず苦笑した。思いの外子どもらしいというか、無邪気というか。幸村と片倉以外にこのような姿で接しているのを、少なくとも佐助は見たことがなかったので、少しだけ嬉しい気もした。
 佐助も大人気ないと信玄に評される程度には負けず嫌いである。幸村相手であれば助け舟など当然するはずもないが、しかし、悪戯心を刺激され良い案も思いついてしまった佐助は、敵に塩を送るなんて、なんて優しいんだ俺様ってば!と内心自画自賛しつつ、少しだけ政宗ににじり寄り助言した。
 「ま、なんてあるじゃない。ほら、すぐそこに。」
 「…あ?」
 佐助が正面から覗き込んだ政宗の目は、佐助の言葉の意味がわからないようで一瞬戸惑いに揺れ、すぐさま、思いの外近い距離にある佐助の顔に驚きから僅かばかり見開かれた。
 佐助はにっこり笑い政宗の唇に人差し指を押し付け、せいぜい可愛らしく見えるよう小首を傾げ、告げた。
 「政宗―――伊達政宗が、俺は、貴重な休憩を削ってわざわざ奥州まで来るていどには好きだけど?」
 ついでに、教えた礼とばかり奪い取った政宗の唇は想像していたよりもずいぶん柔らかく、唇が男女でそう大差があるものでもないことを佐助は知ったのだった。
 「じゃ、俺様もう今日は帰るね。」
 ちゅっとわざとらしく音を立ててすぐさま離れた唇で、これまたわざとらしく投げkissを一つ飛ばし、佐助はまだ政宗が我を失っているうちに米沢城を飛び出た。少しだけ政宗の反応が気になりはするものの、誰しも己の命は惜しいものである。こういうときは、逃げるに限る。


 「あっ。」
 そういえば、言い捨てて逃げ出したから、最後のしりとりは己の勝ちで良いのだろうか。
 ふと疑問を抱き佐助が後方を振り返ると、晴天にもかかわらず空には雷が走っていた。まさしく青天の霹靂としか言いようがない空模様に吹き出し、にやにやと人の悪い笑みを浮かべた。
 「ま、勝敗なんざどうでもいっか。今更だよね。」
 佐助は一人納得し、再び上田へと走り始めた。あくまで自主休憩なので、そんなに長く休んでいるわけにもいかないのだ。
 それにしても、次回会ったとき政宗はどんな顔をしているのだろうか。案外、佐助のことをまるでわかっていない政宗のことだ、今回のことも佐助が変人だからという結論で全て終わらせてしまうかもしれない。佐助は唇に手を当て、傍から見たら怪しい人と指差されること必然と思われる笑みを浮かべると、誰にともなく嘯いた。
 「まあ…そうなったらなったで、また次回頑張るしかないよね。」
 何度でもあの唇に触れられるのならば、それは役得ではないだろうか。真意をわかってもらえないというのを差し引きしても、佐助的には十分お釣りが来るほどである。
 「それに、」
 佐助は打って変わって屈託のない笑みを浮かべた。未だ見ぬ未来のことが少しだけ好きになれたのが、どこまで行っても近づけるはずなどないと信じ込んでいた政宗に少しだけ近づけたようで、佐助には嬉しかった。










初掲載 2007年5月19日