つれなくされると熱くなる その反対も然り


 背中に圧し掛かられ、書類仕事をしていた政宗はいったん筆を置いた。構ってもらいたいのだろうか。彼に潤んだ瞳で見上げられ、政宗は非常に困った。可愛い。可愛すぎる。本来ならば政宗の柄ではないが、思い切りぎゅうっと抱きしめてやりたい。
 しかし、政宗は今日こそ滞っている仕事を仕上げてしまわないといけないのだった。仕事をしないで彼と遊びに耽っていては、もう十分なほど苦言を洩らしている小十郎に、今度こそ本気で怒られるだろう。しかも仕事をしないで彼と遊んでいたのがばれた場合、小十郎は政宗と彼とを引き離すだろう、とは成実の言である。一日千秋。その別離期間が幾日に及ぶかわからないが、彼と会えないことなど、政宗には耐えられなかった。
 政宗は眉を八の字に下げ、いかにも無念であるという風にゆっくり首を左右に振った。
 「悪い…でも、駄目なんだ。わかってくれよ。」
 彼の悲しそうな切なそうな瞳に、ぐっと言葉につまると同時に、政宗は胸が締め付けられるのを感じた。だが、今ここで負けるわけにはいかない。苦渋の決断を今こそしなければならない。そう。今こそ、まさに、その決断が求められているのだ。
 政宗は抱きしめたい思いを必死に殺し、身を切る思いで、肩越しにこちらを覗き込んでくる彼から顔を背けた。叶うことならその身体を引き寄せて、力いっぱい、抱きしめてやりたかった。決してお前をないがしろにしたいんじゃないんだ、ときつく唇を噛み締めてから、政宗は吐き出した。
 「すまない…小太郎!」


 「…それ、何の一人芝居?」


 行儀悪く襖を片足で開け茶の載った盆を手に入室してきた佐助の言葉に、小太郎がぴくりと耳をそばだてる。政宗は見られたくない場面を見られ、思わず顔を顰めた。
 「…knockくらいしろ。つーかなんでテメエが米沢にいんだよ。」
 「…甲斐からはるばるやって来た恋人に向かってその台詞はないんじゃない?俺様傷付いちゃうよ?ていうか、」
 ちらりと小太郎に視線を向け、佐助は呆れた様子で言った。
 「何で犬に風魔の頭領の名前付けてんの…?」
 「shut up!」
 とても気に食わないことに、政宗が相手をしてくれないと悟ったのか、小太郎―ちなみに、白茶の毛並みの犬である。忍ではない。―は尻尾を振って佐助の方へ向かってしまった。もしかしたら、政宗相手のときよりも尾を振っているかもしれない。本気で気に食わない。なんだあの喜びようは。
 (この恩知らずめ、テメエいつの間に手懐けられた。)
 政宗は胸中で呪ったが、そんなこと露知らぬ小太郎は、佐助の足元にじゃれつき幸せそうだった。犬は三日飼えば恩を忘れないというのは嘘だったのだろうか。いや、と政宗は悔しさに小さく唸りながら考えた。佐助は忍だ。烏のこともあるし、何か動物に好かれる秘策でもあるのかもしれない。人心の掌握だったら―肝心の人間の小太郎の黒はばきへの引き抜きは失敗しているが―決して負けはしないのに。相手が佐助であるだけに、それだけ、政宗の悔しさもひとしおだった。
 佐助は纏わりつく小太郎を優しい手付きで追い払い、眉間に皺を寄せ恨めしい視線を投げかけてくる政宗へと歩み寄ってきた。湯気の立つ茶を机上に置きながら、のたまう。
 「片倉さんがすっごい心配してたよ。その犬とまーた遊んで、仕事しないんじゃないかって。」
 「うるせえよ。」
 佐助をきつく睨みつけ、政宗は背後を振り返った。だが、小太郎は興味を失ったのか部屋を出て行ってしまっていた。成実のところにでも構ってもらいに行ったのだろうか。本当に、あれだけ愛しているのに報われない。つれない、小憎らしい犬である。人間の方も。そこがまた政宗にとっては良いのだが。
 政宗は宿敵を目にしたような顰め面で、いつの間にか隣に腰を落ち着けている佐助を見た。
 「全部テメエのせいだ…。」
 「何言ってんの。仕事の邪魔が入らないように助けてあげたんじゃない。それとも何。もう仕事は諦めちゃったの?」
 眉間の皺を伸ばそうと触れてくる佐助の手を振り払い、政宗は唸った。無論、諦めてなどいない。というか今日の分だけでも書類を片付けないと、本当に、小太郎と引き離されてしまう。
 ぎりぎりと歯軋りばかりで返事をしない政宗の様子に、佐助はにっこりと笑った。政宗は見ていなかったが、それは陽が昇っているうちにはあまり見たくない類の笑みだった。更に言えば、それは佐助が何か政宗には嬉しくないような、けれど佐助には楽しくてたまらないようなことを企んでいるときの笑みでもあった。例えば閨で変なことを思いついたときのそれが、今浮かべている類の笑みである。
 振り払われた手を佐助が再び、政宗の目に付かないようにひそりと伸ばしていることを、政宗は知らなかった。
 「だったらあんな犬じゃなくて、せっかく恋人の俺様がいるんだからさ。」
 言うなり佐助に肩を掴まれ圧し掛かられ、政宗が事の次第に気付いたときには時既に遅し。首元に噛み付かれていた。噛み付くような接吻というものも甘噛みという言葉もあるが、本気で血が出ない程度に噛まれた。まるで犬である。痛みに呻く間も与えず、佐助が唇を寄せてくる。
 政宗は、恋人が動物にすら嫉妬するような大人気ない男であることを失念していた自分のうかつさを悔いながら、もうどうにでもなれと仕事続行を諦めるのだった。










初掲載 2007年4月16日