同盟国として救援に駆けつけた伊達と最上の戦は、時既に遅く、勝敗を決していた。元より、わざわざ武田が兵を差し向けるまでもないような戦だった。
それでも信玄が幸村を向かわせたのは、そこに戦略上の意図があってのことだろう、と幸村は戦塵の舞う戦場を真っ直ぐ歩いていった。武田の周囲は小競り合いこそあるものの大きな戦もない。自主的に将として鍛錬を積んでいるがそれでは補えない戦場の雰囲気を忘れさせぬように配慮してのことか、あるいはいずれ戦うことになるであろう伊達の弱みを探らせるためか。何れにしても大差ないと一人ごち、幸村は前方に見えた人影へ手を振った。後者は忍である佐助の分野であろうし、前者に関してはもう終結してしまっている。ならば己は想い人との束の間の逢瀬を楽しむだけだ。
手を振り替えした愛人に気を良くし政宗の元へ走る直前、ふっと手にした槍へ目を落とし、幸村は殺せるのだろうかと疑問に思った。
殺せるはずだ。殺せねばならない。何時か死合うことを目的として、それが実現することを夢に描き、この長い道程を経てきたのだ。俺が政宗殿を殺められぬはずがない、と否定し、その舌の根も乾かぬ間に、けれど、と幸村は思った。けれど、死合うにはあまりに、この想いは強過ぎるかもしれない。
さっと脳裏を過ぎった不安を打ち消すように満面の笑みを浮かべ、幸村は駆けた。
手を振り返してくれる人がいる。掛け替えのない好敵手であり、愛人でもある人がいる。例え後で後悔することになっても、今はそれだけで十分だった。
晴れ渡った夏空は蝉の音を響かせ、そよそよとさざめいている。繁る青葉に束の間目を向け、政宗は手元の刀を見た。
予てから疑問に思っていた。何故己は幸村と死合いたいのだろう。始まりこそ戦場だったが、そもそも戦況にはさして関係のない私的な一騎討ちだった。果し合いのみをするために此処まで来たと言えるほど政宗は純粋ではなかったし、それだけを目的にするには余りにも負ったものが多過ぎた。政宗の目標はあくまでも天下人の座で、幸村の相手は必須たりえなかった。
ならば何故、己は幸村と死合いたいのだろう。政宗はずっと考えていた。愛おしいと思うこの心に誤りはない。恋しいと思う想いに迷いはない。ならば何故、これほどまでに終わりを欲するのだろう。どれだけ考えようとも政宗にはわからなかった。手にした刀は答えを返さず、ただ静かに鈍く光った。血塗れた刃は嘲笑うように政宗の顔を反射した。何故、終わりを欲したのか。わからないまま、終わってしまった。
刀から幸村へ視線を戻し、政宗は膝から崩れ落ちた。胸の中が一杯で感情が氾濫し始めていた。やはり自分は愛していた。この男を確かに愛していた。愛していたのに、手にかけた。震える指先を伸ばして身じろぎしない幸村に触れて、政宗は強く目蓋を閉じた。滲んだ視界が厭わしかった。死合えばこうなってしまうことは初めからわかっていたはずだった。それを望んだ上での終わりで、承知していたはずだった。
ぽたりと涙が零れ落ちて、政宗は強く唇を噛んだ。
薄暗い書庫に一筋の光が差し、開け放たれた扉から吹き込む風に舞う埃をちらちら照らしている。部屋を一度見回した後、政宗は真っ直ぐ歩いていった。
古い紙は脆い砂糖菓子のようにぼろぼろと崩れていく。陽光に当たれば崩壊は一層加速する。政宗は幸村に書物の扱いに気をつけろと言った。紙にはそのような特性がある。自ら持つ酸によって緩やかに酸性化し、煤けたように黒味を帯びて崩壊していく。
愚かな死に方だと政宗は嗤った。自らの存在に耐え切れず崩壊するなど、愚の骨頂だと嗤った政宗に対し、幸村は微かに笑んだ。愛人はその終わり方を身近に感じていた。政宗はそれを知らなかった。
棚から桐箱を取り出して、その足で迷わず庭へ向かった。
枯葉を積んだ焚き火の焔は待ち構えるように燃えていた。成実が芋でも焼くのだろう。芋を供とは間が抜けているが、らしいといえばらしいかもしれない。政宗は小さく笑みを浮かべて、桐箱の中身を炎の中へざっと落とした。乾き切った紙は僅かに間を空け、端から煤けて燃えていく。政宗は縁側に腰を落ち着け、それを静かに見詰めていた。言伝された幸村の文も政宗が記した彼への手紙も、これで全て手元から無くなる。いっそ燃えて消えれば良い。燻り続けて無残な恋を続ける覚悟は毛頭ない。自重に耐え切れず崩れるよりは華々しく散らせたかった。政宗も幸村ももう一度崩れてしまったのだ。これ以上は、耐えられない。
恋文を火種と消化して炎は燃え盛っている。紅いその色に政宗は笑んで、幸村のことを想っていた。
初掲載 2007年10月23日
スローファイア : 紙が、自ら持つ酸によってゆるやかに酸性化し、
いつか煤のような色に変じて崩壊する現象。
蒼と紅で5つのお題さま