右手があると思うから   ※死にネタ


 流石に政宗のように六つも持つものはいないにしても、二つというのは普通である。政宗の好敵手幸村の二槍、その忍である佐助の手裏剣。確か先日戦った武蔵という小僧も二刀流だ。
 目の前の小太郎も刀を二つ、手に持って戦っている。阿呆みたいに政宗の膝で眠るこの男が、戦場では非常に無情であることを一体誰が信じるだろう。先月に至っては、猫に足蹴にされていた。とんだ間抜けだ。思い、政宗は優しく朱の髪を梳いた。実際、この忍は忍であるにもかかわらず、政宗が触れても起きやしない。それは小太郎が鈍いというわけではなく、かといって二人の間に信頼があるというわけでもない。あまり認めたくないが、事実だった。ちりりと小さく胸が痛んだ。もたげるのは後悔だ。
 風魔小太郎は、政宗が試験的に同盟を結んでいた北条に仕える忍だ。小太郎のために同盟を結んだわけでもないが、結果的にはそうなってしまったように思う。とはいえ、時は戦乱世は無常、政宗は天下人を狙う武将である。そう長く同盟によってもたらされた安楽に浸っているわけにはいかないことも、どうしようもない事実の一つだ。同じ同盟を結ぶにしても、もっと良い相手はいるはずだ。何も落ち目の北条である必要はない。
 武器を多く持つ理由は、人それぞれだ。政宗は攻撃力を求めて、防御を斬り捨て、そちらを選んだ。今までさんざん傷を負ったが、その決断を悔やんだことはない。いつまで続くかわからぬ命、出し惜しみしたところで無駄だ。ならば命も含めた全てを、可能性に賭けると誓った。トリッキーな戦法を取る佐助にしてもかすがにしても、そして小太郎と同じ二刀流である武蔵にしても、そこにあるのは相手の調子を狂わせ己は攻撃に転じるという目的だけだ。政宗と同じ、ただ、相手を殺すためだけに生きる。彼らは認めないかもしれないが、結局のところ、それだけだった。
 対して目の前の忍は、それとは違う道を選んだ。肉を斬らせ骨を断つ、そんな攻撃の道ではない。強さを求めるわけではなく、己の弱さを補完する。政宗たちとは対極の道だ。
 結局、政宗と小太郎の生き方は、交わるものではないのだろう。時折ふとそう思った。小太郎を選ぶより他の者を選んだ方が、生きるにも生かすにも楽だった。
 同盟を結んで一年が経った。小太郎との付き合いもそれと前後する長さだ。それでも未だに、政宗は小太郎の何も知らない。泣き言一つ洩らされない。利き手もどちらかわからない。表情一つ変わらない。小太郎が選んだのはそういう道だ。右手の握力が強ければそれを鍛える政宗と違う、弱い左手を鍛える道だ。
 政宗は眠る小太郎へ目を落とし、しばし見つめた後に嘆息した。
 同盟を結んで、一年が経った。斬り捨てられないのは政宗の方だった。実母のときと全く同じだ。そのうちそのうちと延ばして、結局、一年も経ってしまった。
 「お前はたやすく俺を切り捨てられたんだろうな、小太郎。」
 弱さを許さぬ生き方だ。小太郎は喜んで政宗を切り捨てただろう。それが為されなかったのは、そこまでの存在に政宗がなっていないからか、否か。
 「俺はお前のことが捨てられぬほど…捨てたくないほど、好きだった。」
 微笑って、政宗はそっと小太郎の冷たい頬を一撫ですると、遺体を横たえ立ち上がった。結局、実母のときと同じだ。理想を言っても、大切なものを、政宗は切り捨て生きてきた。理想と現実は違えてばかりで、一時たりとも、政宗の自由にはならなかった。
 手に付着した小太郎の血を、政宗は刀を握る手が滑らぬようにと羽織で拭い歩き出した。後ろは振り返らなかった。戦が終わったわけではない。まだ北条当主氏政が残っているのだ。米沢では負傷した小十郎が政宗の帰還を待っている。立ち止まるわけには、いかなかった。
 「俺は、」
 溜め息のような言葉が洩れた。凪いだように心は静かだ。政宗は哀れむように小さく笑った。
 そんな生き方を望んで生きた、最期までそれを貫き通した、小太郎だから好きだった。










初掲載 2007年10月17日
発売前の二刀流考察 :
右手があると思うから、左手が弱くなる。
(森博嗣)