Color:10「the black knight(黒い甲冑の騎士)」


 目の前にあるのは何の変哲もないひょうたんだ。あえて指摘するならば、あまりにひょうたんらしいひょうたんという点が特長ではある。しかしだからといって、別段何か特別な感情を思い起こすものでもない。小太郎は首をかしげ、政宗からそのひょうたんを下賜された日のことを思い浮かべた。
 外では白く雪が降り積もっていた。温かい隔離された執務室で、ぱちりと、火事を起こさぬ程度に抑えられた火のはぜる音が立った。何一つとして、普段と変わった点は見受けられなかった。何を話していたのか記憶が定かではない。ふと、話の流れで政宗は床の間に飾られていたひょうたんを手に取り、小太郎へと投げ寄こした。
 「それが欲しいか?お前のためなら、とってやるぜ?」
 意味がわからず首を傾げる小太郎を、政宗はからりと笑った。
 「時間をやる。次来るときまでに考えとけ。」
 小太郎はひょうたんを手に取り、幾度目になるかわからないが、しげしげと眺めた。ひょうたんを欲しいかと問われれば、別に、としか答えようがない。だが政宗のあの態度が、小太郎にはひっかかっていた。
 元々政宗が粋を好み、何事においても趣向を凝らす傾向があることを小太郎は承知している。その上、政宗は去り際に一言告げたのだ。
 「hintだ。馬じゃあねえぞ。」
 ひょうたんから駒、という言葉に倣い、ひょうたんを贈った政宗がおまけとして駿馬をつけた出来事は小太郎の耳にも届いていた。あの伊達男がひょうたんのみを贈るはずがなかった、としばし話題になったのだ。では、このひょうたんは、何を意味するのだろうか。
 仔細に観察する小太郎を、そのとき、呼ぶ声がした。


 「一月ぶりだな。答えは出たか?」
 人の悪い笑みを浮かべる政宗に、小太郎は主から手渡された書状とひょうたんを押し付けた。無理難題を吹っかけた政宗に、少し憤りも感じていた。そう、無理難題だ。小太郎に取捨選択できるはずがないことを承知の上で、眼前の人物は小太郎を試した。決断を迫ったのだ。
 「その様子じゃ気付いたんだろ。」
 政宗の隻眼が眇められた。
 豊臣が小田原に攻めてくるという情報が北条に入ったのは、昨日のことだ。それまで事態を楽観視していた小太郎の主は事の成り行きに慌て、こうして同盟国である伊達へと兵の派遣を要請した。
 「あの日言ったよな。お前が望むなら、」
 戦の褒賞として秀吉が信長から金のひょうたんを賜ったこと、戦勝するたびにひょうたんを一つずつ増やしていき千にしてみると秀吉が豪語したこと。秀吉の千成ひょうたんは、あまりに有名な話だ。
 「とることだって、厭わない。でも、」
 どうして政宗は、その隠された真意を知ってしまった状況では、選択しないを選べない選択を小太郎に与えたのだろう。愛おしい政宗のことが、愛おしいからこそ憎かった。
 「いらないならいいんだ。」
 ひょうたん…秀吉の首を取り、忍として主の生存を選ぶか。北条が滅びることを承知の上で、愛おしい政宗と共にあることのできる未来を選ぶか。
 「決断は小太郎、お前がしろ。」
 小太郎の視線の先で、ひょうたんが暗く光を放ったような気がした。











初掲載 2007年4月5日
改訂 2007年9月19日

Rachaelさま