黒煙の立ち上る戦場を明智はゆったりと歩いていた。逃げ惑う雑兵には、不思議と食指が動かなかった。今日が特別な日だからだろうか。
蝶のように舞い蜂のように刺すという言葉がある。
蝶と呼ばれた従兄妹に相応しく、華麗さとそれだけでは済まない危険さを備えたこの言葉は、女を慕う少年や家臣によって、度々口に上った。その言葉を戦場で耳にする度、明智も女の舞踏交じりの戦闘に、悲痛を感じながらも納得したものだ。
明智個人としては、暴力を厭う女には戦場に立つことを止めてもらいたかった。実際、女を慮って直接戦には出ぬよう忠告したこともある。
「珍しいこともあるものね。あなたらしくもない」
明智の言葉に、女は声を立てて笑った。
「鉛の雨が降らなければ良いけれど」
明智の気遣いに礼を告げながらも、女は冗談を口に戦場へと向かって行った。他を拒む夫の理念を受け入れられたはずがないにもかかわらず、愛する男のため全てを投げ打ちひたすらに愛を乞う女の姿は、美しかった。
しかし先日、蝶が女を指すならば、蜂と呼ぶべき存在を明智は他に見出してしまった。
今回の対戦相手の総大将がそれである。明智は手にした鎌を興奮から滑り落とさぬよう、強く握り直した。
奥州の龍と称される男は、美しく果敢だった。二つとない鮮烈さと強靭さを備えていた。正しく、男は龍だった。
敵本陣の敷かれた山の上に、一瞬、目の醒めるような蒼が垣間見えた。太陽の光を浴びて黒く翳ろうと関係ない。明智にはそれが誰だか、すぐさま理解できた。
蜂には全てを統べる存在がいる。女王蜂だ。だがそれも義務あっての地位であり、女王蜂は全てを有する代わりに、種のために子を生し続けなければならない。
「…会いたかった」
従わぬ者に恐怖をもたらす女の一家を討ち滅ぼすため、男は同盟を組んだ他国に先駆け、馬に跨り攻めてきた。男に対峙したわけではない。明智が男を見たのは一瞬で、そこには接触もなかった。それにもかかわらず、明智は男のことを忘れられなかった。
青空に溶け込むような蒼が翻る。近付いて、来る。
明智は目を細めて笑った。
家という概念のため全てを犠牲にする様に、男は蜂の姿を見た。
全てにおいて優れながらも己を殺さざるを得ない、王の姿を見た。
初掲載 2007年1月18日